命の食べ方(鶏肉)

日本にいたときから生きるとはどういう事か考えてきた
一つの結論が「食べる事」
人は食べないと生きていけない
しかし昨今「食」がおかしい
農学部と呼ばれる農業の最先端にいたが、やっぱりおかしい
いろいろとおかしいのだが、命を粗末にしている
今回は「肉」の話
肉好きな人間は多い
最近は女の子でも肉好きだ
口をそろえて言う「ベジタリアン、肉を食べないなんて考えられない」と
まぁ、気持ちもわからなくは無い
しかし、本当にそんなことを言ってられるのだろうか
先日台中で見かけた光景

台湾だったら割とどこでも見かける鶏肉屋
台北でも朝市で見かける
覗いていたらちょうどおばちゃんが二羽買った
店のおやじがカゴから鶏を捕まえ、首に切れ目を入れる
血を抜くためだ
死んでからじゃ固まって生臭くなる
その後殺すために(たぶん)窒素室へ
窒息死させる
首を切るだけでは死なない
ドスンドスンものすごい音がする
もがき苦しんでいる
その後茹でて羽をむしる

女性にはけっこうきつい光景だったらしい
男のでも痛々しいと感じる
日本だったらスーパーで「肉の塊」としてしか肉を見ない
元は生きていた命なのだ
台湾ではそれを感じることができる
これは大事な事だと思う
そういうことを考えないでばくばく食べるのはおかしい
こういう光景を受け入れなければ、はっきり言って肉を食べる権利なんてない
食べられた動物たちも報われない
命を頂いている
そういう感覚が無いから平気で食べ物を残すのだ
生きる事は食べる事
食べる事は他の生物から命をもらうこと
だからこそ台湾に来ても「頂きます」「ご馳走様でした」を必ず言う様にしている
命を大切に