児玉源太郎、後藤新平

先日台北国立博物館に行ってきた
228平和公園の中にある
入場料20元、学生だと10元と格安なのでお勧め
日によっては無料の日もある
今回で2度目
日本統治時代の建物だ

中身が少し変わっていた
特別フロアーがバルザック
正直あまり興味がないので軽く流す
原住民文化や台湾の歴史、生態などなど
割と面白い
目についたのが新しい像が2つ


児玉源太郎後藤新平の像である
児玉源太郎に関しては日本ではどちらかというと日露戦争で活躍したという事で有名
海外の国立博物館に日本人の像があるって変な感じだ
それだけ愛された人物なのであろう
児玉源太郎は1898年、日本が台湾を統治してまだ3年という時期に総督として台湾にやってきた
側近に置いたのが後藤新平
当時は産業もままならず疫病が蔓延していた
後藤新平は元々お医者さん
そこで、まず台湾に根付いていたアヘンの習慣をやめさせた
17万人近かったアヘン吸引者はいなくなったそうだ
また、疫病対策として上下水道を整備した
これは日本本土でもされていなかったそうだ
そして医学の学校を建て優秀な台湾人医師も育てた
児玉源太郎の死後、彼を奉る神社を造る計画が出たが予算が大幅に足りなかった
台湾内で寄付を募ると莫大な金額が集まったそうだ
そして二人が農業政策担当者として迎えたのが新渡戸稲造
俺が最も尊敬する人の一人で昔の5000円の人
言わずと知れた武士道の著者
武士道を書いた翌年23歳で台湾に来たらしい
新渡戸稲造は台湾発展の土台となった製糖業を整えた人物
それまではひ弱なサトウキビでとても商品にならない物を細々と育てていた
新渡戸稲造により台湾の特産物となった
これも日本ではあまり知られていない
日本の歴史であまり台湾の話が出てこないのはなぜなのだろうか
少なくとも50年間は日本として統治していた
当然日本の歴史だ
出てきても反乱等事件の話しか載ってない
おかしいよ
こんな立派な人がいっぱいいたのに
愛国心なしに国を良くしようと思えるだろうか
自国を愛するには誇りが必要だ
歴史を「良い」「悪い」で言ってはいけない
ヒトラーだって当時は英雄だった
時代が変われば価値観も変わる
ありのままの歴史を教えるべきである
そのためにはもっと自分自身も知らなきゃな