プユマ族の里へ〜1日目〜

皆さん遅れましたがあけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします



原住民=アメリカのインディアンやオーストラリアのアボリジニーのイメージが強いが、お隣台湾にも原住民がいる
全部で14族認定されている
そのうちの一つ台東のプユマ族の里へお邪魔してきた
12月30日初日
6時過ぎに台北を出た
プユマさんの車に乗せてもらい、台東へ
台北から一番遠い
ちょうど反対側になる
台北、台東をつなぐバスはない
基本的に電車
お金がある人は飛行機
電車でも6時間前後かかる
台湾に来て明らかに車に弱くなった
乗る度に酔う
今回も見事に酔った
失礼しやした…
台湾東部の道は昨年の大雨による傷跡がまだ色濃く残っていた
バスが土砂崩れに巻き込まれた場所も通った
未だに見つかっていない
人間社会は脆い
しばらく行くと以前通った花蓮、台東を結ぶ東部海岸に出た
懐かしい
途中アミ族のおばちゃんが売る野菜屋に立ち寄った

その辺の雑草見たいのもあった
アミ族の子供

基本的に顔を見ても何族か分からない
本人達は分かるらしいが…
北回帰線標誌

中国人観光客がいっぱいいた
奇観

水が登ってく!ように見える
頭使えば仕組みは分かる
人間の目っていい加減だな
他にも美味い肉まん屋に寄ったりして約2時頃到着
荷物を下ろしてすぐに祭りの会場「パラクワン」へ

近年新しく建てられたらしい
女性陣が料理中だった

「アバイ」と呼ばれるチマキを作っている

餅米や粟で豚肉を包み、蒸した物
包んでいる葉っぱは月桃という熱帯、亜熱帯の植物
防虫、防菌効果等がありアロマでも使われる
そして「ポンカン」と呼ばれる場所へ
12月末は男達の「ムダルン」と呼ばれる猟を行う
女性は進入禁止
そのベースキャンプがある
猟は夜に行う
この時間帯は長老達の憩いの時間となっていた

左のメガネをかけている人は有名な作家で熱心に長老の話を録画していた
長老達は日本語を話せる人他が多い
70歳以上の人はだいたい話せる
まるで外国じゃないみたい
寝床

猟の間長老は家に帰らずここで寝泊まりする
恐れ入る
100年前に建てられたものだそうだ
昨日捕られた「キョン

小型のシカ
一度夕飯を食べにプユマさんの家へ
自家製「小米酒」

小米とは粟のこと
粟と米でできている
甘酸っぱくて酒が飲めない俺でも飲みやすかった
酒粕は鶏のエサに使ったら良質な卵になる
夜は猟に参加
暗かったので写真は無し
今は現代化が進みLEDライトを持って山に入る
動物の目は光るからわかりやすい
山ですれ違った人はキョンを3匹捕まえていた
彼が捕った後の道
ハクビシンを1匹見つけたが、残念ながら何も捕まえることはできなかった
他にムササビやイノシシもいるらしい
銃の練習をさせてもらった
思いの外衝撃はなかった
銃も面白い
手作りする人もいるそうだ
変なやつが持つからおかしくなる
戻ると長老の話があっていた
大昔の話などをしている…らしい
プユマ語が多くて全くわからん
時折日本語が混じる
長老の話に耳を傾ける
今はそう言うことが少なくなった
アフリカのことわざに「老人が一人亡くなるのは図書館が一つ無くなることと同じだ」ということわざがある
昔は老人の知恵を大切にしていた
今の日本の社会はどうだろうか
老人=厄介者、ボケ…
そんなイメージになってしまった
その結果老人ホームにお任せ
口では老人を大切にせろと言うが…
日本の田舎ではまだ老人の話に耳を傾ける習慣が有る
やっぱり近代化した社会のせいなのだろうか
老人の「知恵」は科学者が頭で考えた物では無い
長い時間をかけて先人達が築き上げた物
「循環型社会」のキーワードも隠れているはずだ
もっと本当の意味で老人を大切にする社会に戻さなきゃいけない気がする
話を聞きながら酒を飲み、この日は終了